金剛石とダイア(ヤ)モンドと十力の金剛石

タイトルともなっている「十力の金剛石」の<金剛石>って何?

辞書を引くと、<金剛石>とは<ダイヤモンド>の別称。
と、記されています。

では、「十力のダイアモンド」ってことなのだろうか。
いや、変だ。何か違う。
物語での<金剛石>と<ダイアモンド>は確実に違う。             

そもそも<ダイヤモンド>とは、地球が、10億年の歳月をかけて、
単一元素の炭素を、地球内部の高温と高圧によって、生みだした鉱物です。
現在、地球上で確認されている鉱物の中で最も硬い物質であり、
光沢が美しく、色も無色透明、青、黄、紅、緑、褐色、黒色とさまざま。
光に対する屈折率が大きいので、暗い所でもほのかにその輝きを放ちます。

宝石となるものはごくわずかで、その価値は大変高く、
ジュエリー界でのトップの座は不動な感があります。
宝石言葉は「純真無垢」「永遠の絆」。

名前の由来は、色々あるようですが、
ギリシャ語で【征服し得ないもの】という意味を持つ「adamas」を起源とする説が
有力なようです。

こうして<ダイヤモンド>の性質を見ていくと、
【硬く】【何物にも屈せず】【輝き】【価値が高い】ものという印象です。

次に、そんな<ダイヤモンド>の和名である<金剛石>について追いかけてみます。

<金剛石>を辞書で引くとはやり、<ダイヤモンド>のこと、と書いてあります。
意味としてはそうですね。

物語の冒頭で、王子と大臣の子が<金剛石>を探しに山の頂上に向かいます。

  「うん。しかし、ルビーよりは金剛石の方がいゝよ。
   僕黄色な金剛石のいゝのを持ってるよ。
   そして今度はもっといゝのを取って来るんだよ。
   ね、金剛石はどこにあるだらうね。」
  大臣の子が首をまげて少し考へてから申しました。
  「金剛石は山の頂上にあるでせう。」

王子は<ダイアモンド>ではなく、<金剛石>を探し行こうと言っています。
ですが、二人のやり取りでも分かるように、
ここでの<金剛石>は鉱物としての<ダイアモンド>です。
ルビーと同じように石としての扱いです。

賢治さんは他の物語の中で、
鋼玉(こうぎょく)に「コランダム」とルビをふっていたりすることがあることをふまえ、
先日の稽古の際、<金剛石>と<ダイアモンド>を意味的に区別する理由で、、
この冒頭の<金剛石>を「ダイアモンド」と言ったらどうだろうか、という提案をしてみました。
みんなで色々話し合った結果、<金剛石>は「こんごうせき」のままで行くということになりまし

た。
確かに、探しに行くのは宝石のダイヤモンドなのですが、
<金剛石>という言葉のなかに、それだけではないものが、
この冒頭で提示されている感じがするという結論でした。

さて、では<金剛石>は鉱物としての意味の他に何かあるのか。
という疑問。

そこで、もともとの≪金剛≫という言葉を調べてみました。
広辞苑などの辞書を引いても明記はされていますが、
仏教用語であるので、あえて、〔総合佛教大辞典(宝蔵館)〕という百科事典みいに分厚く、
図書館からは持ち出し禁止の書物から書き写させていただきました。

      ≪金剛≫とは梵語のヴァジュラ、vajraの訳。
      伐闍羅、伐折羅、跋日羅などを音写し、訳して金剛という。
      金の中でも最も剛(かた)いものという意味。

やっぱり【硬い】んですね。

そして、大変興味深かったのが、下記の箇所でした。

      宝石の≪金剛≫は、<金剛石>即ち<ダイアモンド>のこと。
      無色透明で日光にあたって種々の色を示すことから、
      はたらきの自在なのに喩えられる。
      金剛頂経疏巻一に、世界の金剛に[不可破壊]と[宝中の宝]と[戦具中の勝]との
      三つの意味があるというが、二つ目の[宝中の宝]がこれにあたる。

宝中の宝!!
たしかにダイヤモンドも宝石の中では最も価値の高いものとして存在していますが、
この[宝中の宝]とは違います。

もしかしたらダイヤモンドが[宝中の宝]と答える人もいるかもしれない。
でも、みんながその答に至るわけではない。

そう考えると、<ダイアモンド>は<金剛石>だけど、
<金剛石>は<ダイアモンド>の意味も持つが、、
[宝中の宝]という意味もあるということになるのかな。

物語の冒頭で王子たちが探しに行こうと言う<金剛石>はダイヤモンド。
中盤で、霰のように降って来るのもダイヤモンド。
そして、後半、やってくる<十力の金剛石>は、十力の[宝中の宝]。

【宝】と言って分かりずらければ、“大切なもの”と言ってもいいかもしれない。

   その十力の金剛石こそは露でした。
  あゝ、そしてそして十力の金剛石は露ばかりではありませんでした。
  碧いそら、かゞがく太陽、丘をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらやしべ、
  草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになふ丘や野原、
  王子たちのびろうどの上着や涙にかゞやく瞳、
  すべてすべて十力の金剛石でした。
  あの十力の大宝殊でした。

<十力の金剛石>が【露】であり、すべてすべてが<十力の金剛石>で
【大宝殊】あるということ。
なんとなく感じるものはあるけれど、はっきりとは分からなかった、この一節を、
実感することができました。

因みに、もうひとつ【大宝殊】について少しだけ。

広辞苑にて[宝殊]という言葉が載っていました。
 
一つには、宝物とすべきたま。たからのたま。とあります。
また、仏教用語で[宝殊の玉]に同じとあり、そこに、

      尖頭で、頭及び左右の側から、火炎のもえ上がっているさまのたま。

と、ありました。
尖頭というのは、頭が尖っているということです。
球形の頭の部分が尖っている形。そう、ちょうど、雫のようです。
露が落ちる時の形です。
あー、だから、露が大宝殊なのですね。

賢治さんの知識や想像力に大抵追いつくことは出来ず、
作品ひとつ演るのに、膨大な調べものや勉強は欠かせませんが、
そんなことも、楽しみのひとつなのです。

「十力の金剛石」、またひとつ、大切な物語になっています。

賢治さんには世界はどんな風に映っていたのだろう。
そして、映った景色をどんな風に感じていたのだろう。
童話の中散りばめられた、たくさんの想い。

賢治さんの物語の中には、共感する景色や感情がたくさん詰まっています。
感じることがたくさんたくさんあるのです。
ほんとうに、もっともっとたくさんの人に知ってもらいたいと願うのです。

(文・小川智代)