大人になると夢はなくなる?

みなさんこんにちは。ご無沙汰しておりました鈴木です。
ブログの文章書くのは7月以来です。
筆不精で文章を書くことはあまり得意でないので毎回苦しみます。

さて今回の公演では、私演目3つに満遍なく出演致しております。
本当は鹿踊りのみに出る予定だったのに、いつの間にか蛙にも出て、
いつの間にか「蠕虫舞手」まで語ることになってしまいました。
あと今回の公演の絶望的に汚いあのフライヤーも私がお絵かきしました(絵の所要時間30分)
なんでしょう、成り行きって怖いですね。

さてそんな訳で、今回はその『蠕虫舞手』について書きたいと思います。
ミニステージでは2回目の詩の語りです(というより僕以外ほとんど誰もやってないんですけどね)。僕はポランに参加する以前にこの詩に出会って、全く意味がわからなくて意地でも理解してやろうという気持ちで何度も読んでました。確かポランの会に初めて来た時も読んだと思います。
この詩、興味を持って原文を参照してくださっても全く訳がわからないかと思いますし、
内容をぼんやりとでも理解しておいていただければもっと楽しめる筈ですので、浅学ですが主だった要素を、ちょっとだけ解説させていただきますね。

まずタイトルですけど「ぜんちゅうまいて」ではなく「アンネリダタンツェーリン」と読みます。
何回か前のブログで書いてあったと思うんですけど、この言葉自体は「蠕虫のダンサー」みたいな意味で捉えていただければ大丈夫です。ちなみにドイツ語です。
蠕虫(ミミズとか寄生虫のこと)って馴染みのない言葉ですけど、この詩の中ではボウフラを指します。蚊の幼虫のアレです。
鈴木は最初イトミミズのことだと思ってたのですけど、どうやらボウフラであるらしいのです。
これを知った時は(’・ω・`)えー… みたいな顔になりました。
蠕虫って言ったじゃん…。

察しの良い方はもうこれでお気づきになったかもしれませんが、この詩は雨ざらしになった鉢や皿などに溜まった水に生きるボウフラや、その中の景色を描いているのですね。
どんな生き物でも嘲ることのない賢治さんらしいチョイスだと思います。

そして詩の最大のポイントとして、こんな言葉が繰り返し書かれています。

「8γe6α(エイト ガムマア イー スイツクス アルフア)ことにもアラベスクの飾り文字」



意味がわかんねぇよ!

詩の中で蠕虫を見つめている人物とはまた違った意識からの言葉が出て来て、あたかも会話のように展開するのですが、これはその言葉の一つです。文字だけ抽出すると何かの呪文のようですけど、実はこれ、ボウフラのダンスを表現しているんです。水の中でくるくると姿を変えて、上述の文字のような形に体を曲げるその姿を立派な舞手と紹介しているのですね。PCの文字だと硬めの字体ですけど、手書きの文字ならもっと柔らかな形になり、よりこの文字列に近くなるのではないのでしょうか。
この不思議な言葉を、何度も何度も繰り返し耳で聞くと、なぜだかわからないけど笑いがこみ上げてくること必至です。ゴリ押しの笑いってあるよね。

この詩の世界を感じている人物は、最初こそ蠕虫が華麗に踊り、薔薇の日や枯葉の踊る水の中を幻想的な景色と感じていましたが、しかしタンツェーリンの踊りは空気の泡にもがき苦しむ様だと気付き、徐々に現実との乖離を感じ、その「意識」と意見が食い違い始めます。

僕はなんとなく、この展開に「科学者としての賢治さん」と「宗教家としての賢治さん」がダブって見えました。
対極に位置するようなこの二つの感性を持った賢治さんは、きっとどちらの感覚を頼りに物事も判断すればいいのか、大いに悩んだことだと思うのです。
その小さな世界の本当の姿を突きつけ、つまらない現実だという「人物」の言葉に「意識」は結局具体的な反論を述べることができずに終わります。この詩を書いている当初は答えを出せなかったのかもしれませんね。
それが「現実と幻想」「事実と理想」「そうであるものとそうであってほしいもの」この二つを表現してる、なんて鈴木は思います。本番の鈴木の語りはどんな世界になるのでしょうか。

そんな鈴木さんの詩の語りを聞きたくなったあなたは、11/23になかの芸能小劇場へ行こう!(ダイマ

いやあ、なんか書きたいことを書いていたらうまくまとまっちゃった気がするぞ。

おしまい

11月23日(木・祝) 14時開演(開場は開演の30分前です)

場所 なかの芸能小劇場
料金 1500円(前売・当日共)

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今年最後のミニステージ!皆様のご来場をお待ちしております。